| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
現役時代 (シャルケ04) のメッツェルダー (2010年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
クリストフ・トビアス・メッツェルダー Christoph Tobias Metzelder | |||||
愛称 | メッツェ (Metze) | |||||
ラテン文字 | Christoph Metzelder | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1980年11月5日(43歳) | |||||
出身地 | 西ドイツ・ハルテルン | |||||
身長 | 194cm | |||||
体重 | 92kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1986-1995 | TuSハルテルン | |||||
1995-1996 | シャルケ04 | |||||
1996-1998 | SCプロイセン・ミュンスター | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2000 | SCプロイセン・ミュンスター | 32 | (4) | |||
2000-2007 | ボルシア・ドルトムント | 126 | (2) | |||
2007-2010 | レアル・マドリード | 23 | (0) | |||
2010-2013 | シャルケ04 | 52 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
1999 | ドイツ U-18 | 1 | (0) | |||
2001 | ドイツ U-21 | 9 | (1) | |||
2001–2008 | ドイツ | 47 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2013-2014 | TuSハルテルン (コーチ) | |||||
2014-2019 | TuSハルテルン U-19 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クリストフ・トビアス・メッツェルダー(Christoph Tobias Metzelder, 1980年11月5日 - )は、西ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ハルテルン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。
レギオナルリーガ(3部リーグ相当)のSCプロイセン・ミュンスターでキャリアをスタート。2000年にブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントに入団。国内でも無名に近い選手だったが、2000-01シーズンはいきなり19試合に出場し、若手への切り替えを進めたいルディ・フェラー監督の目に留まり2001年8月15日には代表デビューを果たした。2001-02シーズンにはベテランDFユルゲン・コーラーから完全にポジションを奪い、リーグ制覇とUEFAカップ準優勝に貢献した。2002 FIFAワールドカップに向けた代表メンバーにも選ばれ、3バックの左で全試合出場すると安定したパフォーマンスをみせ、下馬評の低かったドイツを準優勝に導く原動力の一人となった。
2002-03シーズンも活躍を見せ順調なキャリアを築いていたが、2003-04シーズンは前シーズン終盤に負ったアキレス腱の怪我の影響で1試合も出場できず、翌2004-05シーズンも初出場が12月と、度重なる怪我に悩まされ、代表からも遠ざかった。
2005-06シーズンからは復調し、三年ぶりの20試合以上出場となる23試合に出場した。そして2005年10月12日の中国との親善試合で代表復帰を果たす。若いディフェンスラインを組むユルゲン・クリンスマンのチームにおいてもその経験は貴重とみなされ、2006 FIFAワールドカップのメンバーにも選出。前回のW杯同様に活躍を見せ、またも下馬評の高くなかった母国を3位に導いた。
2007年夏に満了する契約延長交渉が合意に至らず、シーズン終了後にボルシア・ドルトムントを退団する事が決定。2007-08シーズンからレアル・マドリードでプレーすることになった。しかしレアルでは負傷が続き、3シーズンでわずか23試合のリーグ戦に出場するにとどまった。2010年7月、ユース時代を過ごしたシャルケ04へ3年契約で移籍した。
現役引退後は、広告代理店の経営やサッカー解説者として活躍、また地元クラブのTuSハルテルンの会長兼U-19チームの監督を兼任するなど精力的に活動していた。しかし2019年9月、知人女性に未成年の児童ポルノ写真を送信(および所持・拡散)した容疑で検察による捜査が行われていると報じられ、TuSハルテルン会長職の辞任を余儀なくされた。2021年4月、執行猶予付きの禁固10ヶ月の判決を受けた。